しょうがいと生きる。
考えてみれば、私は生まれてからずっと、「しょうがい」という問題に直面して、生きてきました。
私の父は、子どもの頃の「脊椎カリエス」という病気で背骨が曲がり、なかなか身体が思うように動かない、という状態でした。
もうその父も亡くなって7年が経ちますが、一生を通して障害を乗り越えようと生きた人でした。父は頭が良く、プライドの高い人で、障害者として扱われる事を拒否し、補助やサービスを受けることなく生きました。この事は、私が勉強するようになり様々な制度を知るまで、母も私も知らなかった事です。父は福祉に携わる公務員だったので、制度は熟知していたはずでしたから…。
社会福祉学部を目指していた私ですが、大学に落ちまくり、何とかギリギリラインで某国立大学の障害児教育課程の試験(論文)を受けました。すると、課題の文章は、何度も読んだことのある本から出されたものでした。当時、高校生の私は、図書館で読んだ「社会福祉国家を築くために」(だったかな!?)という本で、「ノーマライゼーション」という言葉をはじめて知り、感動し、早く社会の一員になって社会福祉のために役に立ちたい、などと思っていたものです。(恥ずかしい・・・) その本のおかげで合格し、なぜか障害という問題と関わることになるのです。
そして、父が全く「障害者手帳」というものを使っていなかったことに気が付くのです。
公共の乗り物の運賃は半額、公共施設入場料の割引や免除、高速道路の通行料の割引・・・・・・手帳を出せば受けられたはずのそれらのサービスを、父が全く受けようとしなかったことに、大学生になって初めて気付きました。同時に、父の思いを感じました。
そして、そんな思いも知らず、小学校の運動会でレースに出て走ってくれる友達のお父さんを羨ましいと思っていた自分、背の高いお父さんに憧れていた自分を、本当に申し訳ないと思いました。
母にそのことを話すと、「お父さんは、損な性格なのよ」と笑っていました。
でも、父が亡くなったとき、母は寂しそうに言いました。
「私達には愚痴も弱みも見せずに、本当はすごく無理してたと思うよ。健常者と同じでありたいと必死で肩肘張って・・・。小さい頃から差別や偏見と戦ってきて、同じであるために無理ばっかりして、ホントに損な性格よね。。。。。。」
来月で、父が亡くなって7年。それからも障害者の施設で働いたり、子どもの発達障害が判明したりで、「しょうがい」問題に直面してばかりです。その度に、父の不器用な生き方、心の強さを思います。障害とともに生きる、そのやり方には、様々な道があるんだということに気付かされます。
これから大きくなって、カイはどんな生き方を選択していくんでしょう。一見全く分からない「自閉症」とカイも家族も一生をかけて、共に生きていくのです。私達も戦わなければならない日が来るかもしれません。そのときはきっと、また父の事を思うんでしょうね。。。
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